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脊髄髄内腫瘍の体験談(手術後)


脊髄髄内腫瘍の体験談(手術後)

管理人の手術体験談(手術後)です。管理人は脊髄髄内腫瘍の頸髄の5番目(C5)の上衣腫です。


脊髄髄内腫瘍の体験談(手術後)

2003年01月03日

帰院予定時刻の9時までに戻る。

2003年01月04日

手術用抗生物質のアレルギーテスト(皮下注射2ヶ所)。術式説明の用紙をもらう。
手術の同意書、輸血説明書、生検組織を研究に使用することの同意書などにサインをする。
看護師によりバリカンでうなじから目の横の位置まで刈られる。
入浴時、イソジンシャンプー(あのイソジンと同じ臭いと色)で洗髪する。リンスや整髪料が禁止なので、髪の毛がバサバサになる。

2003年01月05日

看護師により手術用物品の確認。ティッシュボックスから下着までマジックで名前を書く。
入浴時、イソジンシャンプーで洗髪。

2003年01月06日

採血。麻酔科の医師、手術室の看護師が挨拶に来る(問診票)。
リハビリ、前回と同じ内容。医学生(5回生)が実習に来る。
看護師により髪の毛をバリカンで刈った所を電気シェーバーでもう一度剃られる。
入浴時、イソジンシャンプーで洗髪。 湯上りに浴衣に着替え、ストレッチャーに乗り(体重測定機能付きストレッチャー)で体重測定。
夕方左手の甲に手術用の点滴路(ルート)を確保。脳神経外科の検査技師が処置室でSECテスト。 午後9時夜間点滴開始。飲食が禁止となる。

2003年01月07日 脊髄髄内腫瘍の手術当日(朝)

T字帯、浴衣に着替える。ストレッチャーに私物(ICUで使用)、カルテ、薬品を積み込み、ストレッチャーに寝たまま別のストレッチャーに乗り換え、浴衣を脱ぎ、暖かいタオルケットなような物をかけ、その上にもう一枚シーツをかけてもらい、横滑りのローラーに乗る。

2003年01月07日 脊髄髄内腫瘍の手術当日(夜)

手術終了後の午後10時頃にICUで母と面会する。
医師が立会い『自分の名前を言って下さい』と言われ、名前を告げると親族の待機が終了となる。
(自分自身が言った記憶がないが、確かに言ったらしい)
左手に点滴が静・動脈に3本。左指にオキシパルスメーターのクリップが挟まれている。心電図の電極が胸に3箇所。右胸、右腰にそれぞれ20cm四方のじょくそうパット、導尿カテーテル、口元に酸素マスク。
頭は三角巾を巻かれていて、傷口に大きなガーゼが当てられている。傷口の先端にはドレーンが出ている。首にはネックカラー。背筋矯正ベルトは用意していたが、付けられていない。
浅い眠りと意識がもうろうとする。『空調が暑いな』と思っていたら、発熱していたらしく看護師が何度も体温を測る。その度に目が覚める。
胃がむかつき、何度も胃液を吐く。医師より『カリウムだろう』と言われ、点滴パックを交換し、プリンペラン(吐き気止め)を入れてもらう。
夜間、何度か違う脳神経外科の医師が『どうですか?』と聞きに来る。仰向けの姿勢で寝るのがつらいと言うと、『手術から6時間が経過したら、横向きになってもいいよ』と許可が降りる。それまでの間は看護師が痛み止めを入れた。 6時間が経過し、右半身を少し傾けて、バスタオルを丸めたものを体に挟む。
導尿カテーテルのチューブが途中で外れ浴衣を濡らしていたので、熱いタオルで体を拭いて浴衣を着替える。
全身に力が入らない。手足に強烈な痺れ。鎖骨下は打撲のような痛み。右胸、右腰が腫れたような感覚。(長時間の手術体位によるもので、外傷的には問題なし) 寝ていても、頭部から背中にかけて引っ張られる感覚。強烈な肩こりのような痛み。

2003年01月08日

朝、芝本先生と看護師がICUまで迎えに来て、ストレッチャーに移る。レントゲン、CTを撮り、NRCUに戻る。 心電図の電極シールを貼る。オキシパルスメーターのクリップを指先に挟む。
昼食、おかゆ(全粥)と副食(通常)。1時間かけて全体量の半分を食べる。
昼食後、膀胱内圧検査。その後、導尿カテーテルを外す。3時40分点滴スタンド(キャスター付き)を支えとしながら、NRCU内の個室トイレまで歩く。

2003年01月09日

高見先生により傷口の消毒。 看護師により蒸しタオルで体を拭き、アルコールで消毒し、ベビーパウダーをはたいてもらう。 浴衣からパジャマに着替える。昼食前にNRCUから大部屋に戻る。 トイレの際はナースコールで看護師に付き添ってもらい、歩行器で身障者用トイレに行く。

2003年01月10日

夕方、積尿(尿を専用カップに貯めること)が終了となる。
ナースコールの線がベットに絡まっていることが分からず、ベットの電動リクライニングで線を引きちぎってしまう。ベットに体を預けていたので激しい衝撃が首に来る。

2003年01月11日

検査も何もなし。

2003年01月12日

ネックカラーで首がかゆいので、オイラックスを塗ってもらいカットガーゼを2枚あご下に挟む。

2003年01月13日

後藤先生が消毒。その際、ネックカラーをゆるめてもらい、あと一週間位でネックカラーを外せると聞く。
午後芝本先生の前で歩行確認。レントゲンの検査結果を見てからネックカラーを外せるが、寝ている間に無意識に首を動かすのが一番怖いと言われる。自己申告でおかゆから通常食に変更してもらう。

2003年01月14日

採血。総回診後、高見先生がネックカラーのゆるみが気になったのか、締め直される。
宇田先生が消毒。『何針縫いましたか?』と聞くと、皮下内でたくさん縫い、皮膚はスキンステープラー(医療用ホッチキス)30数個で留めていると返事。
傷口が順調なので、明日ホッチキスを半分、あさってにホッチキスを残り半分を取り、しあさってに洗髪と聞く。
午後レントゲンまで車イスで看護師に送ってもらい、ネックカラーのまま、立ってレントゲンを撮る。
夜看護師からレントゲン、血液検査の結果、順調でセラミックスもきちんとくっついていると言われる。
入浴ができないので、看護師に体を拭いてもらい、アルコール洗髪もしてもらう。

2003年01月15日

起床後背中に悪寒が走り、体が少しだるい。熱は微熱程度。布団2枚、ホットパックを入れてもらう。
総回診の際、吾郷先生が『悪寒を訴えています』と言う。
その後高見先生が来て症状を聞かれる。術後10日目に抜糸を予定。手術では骨を4個外したと聞く。

2003年01月16日

検査も何もなし。

2003年01月17日

総回診、大畑先生よりネックカラーの外す指示あり。
入浴の日。胸下のみシャワー許可が降りる。一人で着替え、シャワー20分で終了。首と肩は蒸しタオルで看護師に拭いてもらう。
食事のトレー(手をつける前)を持って、部屋から食堂まで運ぶことができる。 ネックカラーを外すと、後頭部から首、肩にかけて脈がドクドクと打って少し痺れを感じ、ふらつきもあり。この違和感はじきに慣れるとの事。頭は少し右に傾いているらしい。
母親が面会時、12階から6階まで階段で降りる。足元が見えず最初の一歩と終わりの一歩が慎重になる。 6階に着いたとき、ふくらはぎが痛かった。

2003年01月18日

吾郷先生が消毒。抜糸を半分行う。額の医療用ホッチキスも2個取る。取る時は一瞬で注射よりは痛くないが、見えないので緊張する。後頭部の1個だけが皮膚に噛んでいて少し痛かった。取った後、傷口が少し傷むが数時間で消える。
歩行状態は足が上がるようになって、少し良くなっている。
退院の件高見先生に聞く。その頃はかなり良くなっているが、今後下垂体、首、骨盤のMRIの検査次第。 ネックカラーを外しての歩行はやはりつらい。夜疲れてネックカラーをする。
芝本先生が筋力測定。手術前より筋力が向上していると判断。

2003年01月19日

芝本先生により残りの抜糸。髪の毛内に医療用ホッチキスが残っていないのか、手探りされた。
明日の入浴は傷の確認をしてからシャワーのこと。 歩行の際、後頭部のズキズキは治まる。ネックカラー無しのため首が支えるのがつらくてふらつき、頭が右側に傾き右肩下がり、体の中心軸がずれ、安定感がないとの事。

2003年01月20日

病棟内を散歩。吾郷先生が手術創を確認。そのままガーゼをはずし、シャワー浴の許可が降りる。
シャワー浴で頭髪もシャンプーで洗う。午後レントゲン。
内藤先生が動く範囲で首を動かすようにとの事。今まで骨を固定するためにネックカラーを使っていたが、動かさないと筋肉が固まってしまうのは良くないらしい。高見先生が、『バンザイ』のポーズをして、首と肩の筋肉を使うようにとの事。
高見先生、リハビリについて。脊髄髄内腫瘍の深部知覚障害では、あまりリハビリでは効果は無いと説明を受けるが、リハビリを希望すると早速手配してくれた。入院の請求書が届く。

2003年01月21日

採血。病棟内を散歩。肩から腕にかけての力が少し抜け、歩行時に肩も揺れるようになる。
翌日のMRIの問診表の記入の際、『体内に金属が入っていますか?』との質問に迷う。
川原先生に聞くと、体内に金属が入っているが、非磁性体でありMRIは受けられると説明。

2003年01月22日

MRI(首)。高見先生よりMRIの検査結果を聞く。上衣腫は全部摘出できており、何も問題はないとの事。
手術室の看護師が挨拶に来てくれたが、MRI検査中で入れ違いとなる。シャワー浴。

2003年01月23日

リハビリ科で問診のみ。中土先生が触診、握力測定。階段での歩行状態を確認。

2003年01月24日

検査も何もなし。

2003年01月25日

西川先生が手術創を確認。1月30日退院であると聞く。
家族が付き添い、外出する(2~6時)。デパートへ行く。

2003年01月26日

検査も何もなし。

2003年01月27日

リハビリ。エアロバイク、ハーフスクワット、足関節の柔軟体操。階段昇降。

2003年01月28日

リハビリ。上記と同じ内容。大畑先生が手術創を確認。

2003年01月29日

リハビリ。上記と同じ内容。

2003年01月30日

午前中に退院。